SSブログ

姿現した“地デジ利権” [社会批評・評論]

 いつ姿を見せるのか、と思われてきた“地デジ利権”が、やっと顔を出してきた。いくら世界的な動きとは言え、日本では7、8000万台のテレビ受像機があるというのに、地デジ対応のテレビがほとんどない10年くらい前から、テレビ業界が「地デジだ」「地デジだ」と大騒ぎを始めた背景には、何かあるだろうと、ブログに書いたことがあったが、テレ朝の朝まで何とかやサンデー何とかで、小沢民主党代表が誕生した直後から、「辞めろ」コールを続けていた“ジャーナリスト”は、番組の冒頭、「テレビ業界に利権など、あるわけがねーだろ」と、ホザいたものである。しかし、最近になって、やっと“利権”の一端が見えてきたのだ。最近のテレビは、一時期のものと比べてなかなか壊れない。特に大型の高級機種は、20年は持つんじゃないかと思わせるほど、丈夫で長持ちしそうだ。こんなわけで、あと2年で地上波はオシマイよ、と言われても、多くの人が「ふざけるな」と思っているはず。私なども、心情的には、本当に地上波テレビが映らなくなったら、幹線道路に大型テレビを運んで、ぶちまけてやろうか、という気持ちが消えないのである。地デジテレビを購入したら、サラリーマンでも必要経費として認めるなどの処置があったら、少しは、国民の怒りも払拭できたはずだが、いまとなっては遅い。
 例のカルト宗教政党が選挙対策で、最近、「古いテレビを1台1万円で引き取れ」と政府に要求したらしいが、当然ながら相手にされなかったようだ。この政党は、国民全体の利益になど興味がなく、支持母体のカルト宗教の利益のためだけに動く。テレビ業界も同じだろう。最近やっと顔を出してきた“地デジ利権”というのは、ワンセグ用の有料テレビである。まだ、若者相手のチャンネルしかないが、そのうちプロ野球、サッカーなどのスポーツチャンネルも入ってくると思われる。情報料も、300円程度と見た目には安いから、テレビ業界だけの活況には繋がると思える。そもそも、この地デジというのが、電波を電話業界に開放する目的だったのに、当初は国民全体に隠してスタートしたところが、大問題ではないのか。国民全体が支持していないのは、地デジの普及率50パーセント以下という現状を見ても明らかだろう。たとえ、2年後に、地デジ対応のチューナーが1万円以下で販売されたとしても、高齢者の1人家庭では通常設置できないだろうし、詐欺師の活動場になることが目に見えているのだ。これはテレビ業界が生み出す、明確な社会悪なのである。その中で、密かにほくそ笑んでいるのが、NTTかもしれない。この公共電波独占資本の特徴は、So-netなどの一般プロバイダーが無償提供しているIP電話の使用に関して、基本料金のようなものを徴収しているアコギさだ。新たな利権となった地デジ有料チャンネルで儲けを狙うが、それはいろんなイベントに乗りやすいテレビ業界にも共通する。
 そのテレビ業界がこぞって、反小沢コールの大合唱を展開しているが、仕掛け人は業界の政治的なリーダーを気取る自称“ジャーナリスト”であることは以前書いた通りである。最近になって、本当に悪いのは検察だが、小沢は民主党の代表を辞めて検察と戦わなくてはいけない、そういうふうにすれば、応援してやってもいい、などとロジックを変えてきた。どっちにしても、この男の関心は急進的な日本政治の改革を、邪魔することにしかないのだと思われる。ま、ジャーナリズムが描く改革よりも、政治が先に行ってしまっては困るということだろう。だが、私に言わせれば、いまは国民大衆が時代の空気を作り、政治やメディアが全体としては追いつけない時代なのだ。だいたい、例の“小沢は辞めるべきが80パーセント”なんて、“世論調査”を信用する、まともな国民は少ないはず。自民公明政権への支持が多少戻っているだろうが、この数字を差し引けば、本当の“小沢辞めろ”コールは、もっと少なくなる。なぜなら、熱狂的な自民公明政権の支持者にとって、小沢氏はどんな状態でも、“辞めるべき”存在だからである。

メディア対“小沢民主”、どっちが勝つか? [社会批評・評論]

 報道では4月いっぱいはかかると思われていた、定額給付金の交付通知が、4月1日に届いたので驚いた。流石に、昔、選挙の投票箱を時間通りに閉じたというので、怒ったカルト宗教政党の運動員たちが、区役所の職員と立会人を取り囲んでボコボコにした区だけのことはある。居住者にはカルト宗教団体の幹部も多いと言われ、区役所の職員労組でも一大勢力らしいから、徹夜徹夜でがんばったのだろう。さらに、麻生内閣は、やはり、慌てて補正予算を作成するらしいし、選挙は近いのかなと思う。
 いまや、メディアは“反小沢”のオンパレードだ。民主党はいいけど、小沢代表は悪い。民主党議員たちは、どうして小沢代表を変えないのか。民主党の小沢代表こそ、“古い自民党”の権化だ。等々、まるで、小沢代表が極悪人であるかのような報道や番組作りを続けている。いまや、メディアは、政党活動、政治家の中立性を問うより、“愚衆”の浅知恵を煽る“イエロージャーナリズム”と化しているのだ。いまのメディアがやっているのは、一種の“言論テロ”であり、政治権力の側に立つ価値観の強制に過ぎない。私が学生時代に得たアメリカ社会学の知識によれば、政党とジャーナリズムはいかなる権力からも、自立していなければいけないはずだ。自立とは、価値観の独立であり、影響を排すということである。だから、エキセントリックに“小沢問題”に突っ込みたいのなら、メディアは、まず、政治資金の自己規制の法律を作った国会の議論を提起するのが、先決ではないのか。ところが、“愚衆”の浅知恵による批判に乗じて、共産党や社会党までが“小沢批判”に勤しんでいる有り様だ。
 だが、私はあえて問いたいのである。民主党の小沢代表は、それほど、悪人なのか?私は、小沢代表が共産党や社会党の代表だったら、弁護などしない。民主党の代表だからこそ、弁護するのだ。小沢代表が民主党のトップとして表舞台に出てきてから、実に、見事に、民主党は大政党としての体をなしてきた。野党第1党はこうでなくっちゃ、という説得力が出ているのである。小泉政権時代に、時の民主党代表が「キミ、なかなか、有望だと思うよ」なんて、相手の総理からエールを贈られたような、ひ弱さは微塵もない。むしろ、いまの民主党は、自民党から本気で恐れられている存在なのだ。“小沢民主党”とそうでない民主党の違いは、100パーセントと20、30パーセントぐらいの違いがあると、私は思っている。つまり、“小沢民主党”というのは、単に国会議員が増えただけの違いではなく、政党としての質や器が、抜群に大きくなったのである。だからこそ、安保政策や農業政策、国家の財政論などで、新機軸が生まれているのだ。以前の民主党というと、あくまでも、歴代の自民党体制の延長線上の修正の域を出ない限界があったが、いまは政策提示のうえで、本質的に新しさと創造性に溢れている。
 私が、“小沢民主党”に感じた魅力とは、まがいものではない、本気で自民党と張り合える政党としての“質的向上”なのである。小沢代表を悪の権化として排除しようとするメディアの根拠は、小沢代表が田中角栄氏に育てられ、金丸幹事長に付き、結局、自民党を出たという過去にあるが、そういう“金権体質”が仮に残っていたとしても、もともと民社党という“翼賛野党”の体質や建物を引き継いだ民主党にとって、どれだけ新たな危険だというのか。第一、そんなものは、民主党という政党内部の問題であって、万が一、国会が議論による自浄作用を失った時に、政党批判をすればいいのだ。しかし、こういう時にこそ、メディアの本性が現れていて、同じ疑惑を持つ現職閣僚はかばっても、“小沢批判”は絶対に止めない。それは、メディアに登場するコメンテーターにも共通で、特に女性に顕著で、女性有権者の民主党離れを誘発させようとする自民公明政権の意図を汲んでいると思う。
 民主党小沢代表の政治スタンスは、もともと、自民党との連立か、反自民の野党連合かという2者択一だったが、ここへきて目立つのは、偽メール事件で墓穴を掘った、かつての新自由主義歓迎とも言える民主党内の反小沢グループからの「辞めろ」コールであろう。老いの一徹、硬骨漢、石井議員は「あいつらだけは許せない」と吠えたが、早く芽を潰して欲しいものである。さらに、都議会民主党などは、以前から“実質、石原与党”と言われたものだが、地方の民主党組織は、本当に、いま、政党としての本質を試されていることを肝に銘じるべきだと思う。もう一度、念を押すが、少し前までの民主党支持の広がりは、別に“民主党の”クリーンなイメージに期待されて生まれたものではなく、自民公明の政治を変えて欲しいという願いが、“豪腕小沢”への期待となったのである。そう、「ワンパクでもいい」から、庶民の願いを実現してくれる政治家こそ、取り敢えずの、声なき声なのだ。

戦後最大の選挙干渉が始まった! [ニュース]

 本稿は、先日、“社会時事評論”として、アップしたものを、3月8日部分修正して、“ニュース”にアップし直すものである。

 まずは、序章から見る必要がある。ちょっと前まで、麻生内閣は世論はもとより、自民党内からでさえ、窮地に立たされていた。麻生総理自身の問題に加えて、中川“酔どれ”問題があり、これに元総理が追い打ちをかけた。定額給付金への反対を表明して、参議院から衆議院への差し戻しには「欠席する」と言った。こういう動きに刺激されたのか、最近は、“世襲”の若造が、テレビにしゃしゃり出てきて、「新しい自民党を作る」だなんて、ほざいていた。だったら、自分が真っ先に飛び出して、“新自民党”を旗揚げするっきゃないだろう。偽善メディアも、若造の話を聞いているだけ。聞くだけなら、犬だってできる。この若造の言い分は、ボスの年齢を若くするってだけ。第一、世襲の分際で、「オマエが、一番、“古さ”の象徴じゃねーか」と私は思った。もっとも、ユルさは、元総理も同じで、世襲で息子に地盤を譲ろうとしているのだから、自民党を壊すどころか、自分からどっぷりと漬かっている。とはいえ、自民党全体としては、麻生内閣支持と離叛派に2分されてきて、それらの行動も目立ってきていた。まだ、大きな流れにはなっていないが、それは、いずれ大きな流れになるかもしれない要素を内包していたのだ。
 一方、野党の側は、着々と“未来”を目指して、動きだしているという実感が、私には感じられた。麻生総理帰国後の予算委員会を見ていた時のことである。総理も外相も、沖縄海兵隊のグアム移転後に、別の部隊が入ってくるのを、知らないことがわかって唖然としたのであるが、どっぷりと、日米安保のぬるま湯に浸かった様子が、テレビの画面に映し出されていた。まるで、他人事。つまり、グアム移転費用を丸々出してやり、新しい部隊のために税金を使う。グアムって、アメリカなんだぜ。アメリカの都合で兵力の移動があり、グアムでのアメリカ基地建設のために、日本人の税金が使われる。このことに無関心な内閣と与党は、愛国者ではない。こんな感想を持ったのは、私だけではないだろう。その内閣と与党の人たちが、まるで鬼の首をとったかのように、民主党の小沢代表を批判している。同代表が、「本来、日本の米軍基地は要らない。本当に役に立つのは、第7艦隊ぐらいだろう」と言ったことを捉えて、“素人の議論”と批判しているのだが、実は、私も以前から同じことを、問題意識として抱いていた1人である。昔、自衛官だった人から自衛隊のあり方をいろいろ詳しく聞いて、こういう考えを持ったのあるが、基本的に自衛隊を日本の防衛部隊として活用しようと思えば、必然的に“金食い虫”の米軍基地は不要になるはずだ。核を搭載した第7艦隊さえ配備されていれば、核抑止力になるし、本来の、憲法に抵触しない自主防衛のために、自衛隊を徹底的に改変すれば、本当の独立国に、日本は近づくのである。
 ところが、いまの自衛隊には無用の戦力が多すぎる。大型のロケット砲などは、富士の演習場でぶっ放したら、富士山を大きく超えて、山梨か長野の方まで飛んで行くと言われているし、大型の戦車は通常の橋を、はるかにハミ出して、とても国内の防衛には使えないという。守屋元次官の汚職事件で明らかになったように、“政商”に言われるがまま、高額の防衛予算を無駄使いしているのが、自民公明政権だと思う。こういう無駄な出費を根本的に整理して、自衛隊の訓練そのものを、本当に国土防衛のために洗い直すことが、来るべき民主党政権には求められていると、私は思っている。憲法が求めている、真の自衛とは、外国を侵略しない戦力なのであり、いまの自衛隊のように、米軍の補完部隊として外国を侵略できても、国内のゲリラ戦や外国からの侵略に役に立たない戦力は、早急に変更すべき課題だろう。しかし、小沢代表を批判している政府、与党の言い分には、無駄な兵器買いで入ってくる既得権益を守ろうとする意識が、チラチラする。こういう現状に楔を打ち込んだのが、小沢代表の発言であった。実は、私から見れば、この小沢発言も、今回の検察の動きの序章に過ぎなかったと思えるのである。そして、結論を急ぐ前に、偽善メディア側の意識についても、指摘する必要があろう。
 まず、新聞各社は、一貫して日米安保の堅持を金科玉条としているという事実である。朝日を筆頭に、日米安保だけが国際政治、国防の基本だという姿勢を数十年間変えていない。自民公明政権も同じであるから、必然的に、日本の国政は、国家財政を従来通り、日米安保を基軸とするシフトで固めていて、次の選挙も本当はこの政策の是非を問う形で評価されるべきだ。日米安保路線のために、どれだけ社会福祉や投資が制限されているか、不況の今日だからこそ、この問題が問われている。小沢代表が就任する前の民主党では、どちらかというと、日米安保批判はタブーであった。元社会党、新進党、自民党などの議員が混在していたからである。しかし、かつては自民党の幹事長まで務めた小沢代表は、あえて日米安保批判というタブーに踏み込んだのだ。この点に、いまも日本の権力の中枢にいる官僚OBや財界実力者たちが震撼としたのは、十分に想像できる。今回の検察の小沢代表秘書逮捕劇が示すのは、小沢代表のほかにも同様の疑惑を有する、自民党の有力者たちがゾロゾロいるのに、手つかずであることが示すように、戦後最大の選挙干渉というほかないのだ。だから、こんなことで民主党に対する国民の支持が変わるなら、もう当分の間は、日本の政治構造が変わらないはずだ。
 万が一、小沢代表の政治資金疑惑を云々する人たちがいるなら、一切の企業団体の政治献金を絶ち、国民の税金による政治資金まで受け取らないことを貫く共産党を支持すべきだと思う。そこまで、自分は徹底していないよ発想が、と言うのなら、“男は黙って”民主党を支持すべきではないだろうか。なぜなら、今回の検察の行動が、民主党を支持する国民に対する挑戦だからである。考えてみれば、歴代の自民党政権は、要所要所で、とんでもない手法を使って、窮地挽回を図ってきた。例えば、60年安保闘争に行われた総選挙では、新聞各社主催の党首演説会で、警察が厳重な警備をしていたはずなのに、社会党の浅沼委員長が右翼青年のテロに遇い殺されている。同委員長は北京で、「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」という演説をして、日米の権力者から“敵視”されたはずだ。また、田中角栄氏は、自民党幹事長や総理の時代を通して、発想が柔軟すぎて何をするかわからない、と思われていたが、一度、総理の座を退いた後、アメリカ司法当局の資料によって、ロッキード事件の被告になった。同氏は総理の時に、従来の保守政権が“敵視”していた毛沢東の中国と国交を回復して、日本の公安警察が“隠れ共産党”というデマを振りまいたほどだ。こういう事実を否定したい人たちは、最近の“右翼的”総合雑誌が、小沢代表を同様に批判していることから学ぶべきだろう。

戦後最大の選挙干渉が始まった!! [社会批評・評論]

 まずは、序章から見る必要がある。ちょっと前まで、麻生内閣は自民党内から、窮地に立たされていた。麻生総理自身の問題に加えて、中川“酔どれ”問題があり、これに元総理が追い打ちをかけた。定額給付金への反対を表明して、参議院から衆議院への差し戻しには「欠席する」と言った。こういう動きに刺激されたのか、最近は、“世襲”の若造が、テレビにしゃしゃり出てきて、「新しい自民党を作る」だなんて、ほざいていた。だったら、自分が真っ先に飛び出して、“新自民党”を旗揚げするっきゃないだろう。偽善メディアも、若造の話を聞いているだけ。聞くだけなら、犬だってできる。この若造の言い分は、ボスの年齢を若くするってだけ。第一、世襲の分際で、「オマエが、一番、“古さ”の象徴じゃねーか」と私は思った。もっとも、ユルさは、元総理も同じで、世襲で息子に地盤を譲ろうとしているのだから、
自民党を壊すどころか、自分からどっぷりと漬かっている。とはいえ、自民党全体としては、麻生内閣支持と離叛派に2分されてきて、それらの行動も目立ってきていた。まだ、大きな流れにはなっていないが、それは、いずれ大きな流れになるかもしれない要素を内包していたのだ。
 一方、野党の側は、着々と“未来”を目指して、動きだしているという実感が、私には感じられた。麻生総理帰国後の予算委員会を見ていた時のことである。総理も外相も、沖縄海兵隊のグアム移転後に、別の部隊が入ってくるのを、知らないことがわかって唖然としたのであるが、どっぷりと、日米安保のぬるま湯に浸かった様子が、テレビの画面に映し出されていた。まるで、他人事。つまり、グアム移転費用を丸々出してやり、新しい部隊のために税金を使う。グアムって、アメリカなんだぜ。アメリカの都合で兵力の移動があり、グアムでのアメリカ基地建設のために、日本人の税金が使われる。このことに無関心な内閣と与党は、愛国者ではない。こんな感想を持ったのは、私だけではないだろう。その内閣と与党の人たちが、まるで鬼の首をとったかのように、民主党の小沢代表を批判している。同代表が、「本来、日本の米軍基地は要らない。本当に役に立つのは、第7艦隊ぐらいだろう」と言ったことを捉えて、“素人の議論”と批判しているのだが、実は、私も以前から同じことを、問題意識として抱いていた1人である。昔、自衛官だった人から自衛隊のあり方をいろいろ詳しく聞いて、こういう考えを持ったのあるが、基本的に自衛隊を日本の防衛部隊として活用しようと思えば、必然的に“金食い虫”の米軍基地は不要になるはずだ。核を搭載した第7艦隊さえ配備されていれば、核抑止力になるし、本来の、憲法に抵触しない自主防衛のために、自衛隊を徹底的に改変すれば、本当の独立国に、日本は近づくのである。
 ところが、いまの自衛隊には無用の戦力が多すぎる。大型のロケット砲などは、富士の演習場でぶっ放したら、富士山を大きく超えて、山梨か長野の方まで飛んで行くと言われているし、大型の戦車は通常の橋を、はるかにハミ出して、とても国内の防衛には使えないという。守屋元次官の汚職事件で明らかになったように、“政商”に言われるがまま、高額の防衛予算を無駄使いしているのが、自民公明政権だと思う。こういう無駄な出費を根本的に整理して、自衛隊の訓練そのものを、本当に国土防衛のために洗い直すことが、来るべき民主党政権には求められていると、私は思っている。憲法が求めている、真の自衛とは、外国を侵略しない戦力なのであり、いまの自衛隊のように、米軍の補完部隊として外国を侵略できても、国内のゲリラ戦や外国からの侵略に役に立たない戦力は、早急に変更すべき課題だろう。しかし、小沢代表を批判している政府、与党の言い分には、無駄な兵器買いで入ってくる既得権益を守ろうとする意識が、チラチラする。こういう現状に楔を打ち込んだのが、小沢代表の発言であった。実は、私から見れば、この小沢発言も、今回の検察の動きの序章に過ぎなかったと思えるのである。そして、結論を急ぐ前に、偽善メディア側の意識についても、指摘する必要があろう。
 まず、新聞各社は、一貫して日米安保の堅持を金科玉条としているという事実である。朝日を筆頭に、日米安保だけが国際政治、国防の基本だという姿勢を数十年間変えていない。自民公明政権も同じであるから、必然的に、日本の国政は、国家財政を従来通り、日米安保を基軸とするシフトで固めていて、次の選挙も本当はこの政策で評価されるべきだ。日米安保路線のために、どれだけ社会福祉や投資が制限されているか、不況の今日だからこそ、この問題が問われている。小沢代表が就任する前の民主党では、どちらかというと、日米安保批判はタブーであった。元社会党、新進党、自民党などの議員が混在していたからである。しかし、かつては自民党の幹事長まで務めた小沢代表は、あえて日米安保批判というタブーに踏み込んだのだ。この点に、いまも日本の権力の中枢にいる官僚OBや財界実力者たちが震撼としたのは、十分に想像できる。今回の検察の小沢代表秘書逮捕劇が示すのは、小沢代表のほかにも同様の疑惑を有する、自民党の有力者たちがゾロゾロいるのに、手つかずであることが示すように、戦後最大の選挙干渉というほかないのだ。だから、こんなことで民主党に対する国民の支持が変わるなら、もう当分の間は、日本の政治構造が変わらないはずだ。
 万が一、小沢代表の政治資金疑惑を云々する人たちがいるなら、一切の企業団体の政治献金を絶ち、国民の税金による政治資金まで受け取らないことを貫く共産党を支持すべきだと思う。そこまで、自分は徹底していないよ、と言うのなら、“男は黙って”民主党を支持すべきではないだろうか。なぜなら、今回の検察の行動が、民主党を支持する国民に対する挑戦だからである。

酒の飲み方知らない奴、恥知らずな奴ら [社会批評・評論]

 最近、“新自由主義者”竹中氏のTV露出が盛んだが、先日、突如として、盟友の小泉元総理が吠えまくった。郵政民営化を巡る麻生総理の不可解な連続発言に怒ったというのがメディアの解釈だが、本気で倒閣をする気もなさそうなのに、「定額給付金、消しちゃうよ」って、一体、どういうつもりなんだろう。前から書いているが、いまだに1人歩きできないのが、“チルドレン”なのにね。本気で給付金を消す気なら、チルドレンの面倒を最後まで見ないといけないが、過去の自民党の“美風”を本気で守るとは思えない。一方、竹中氏は、恥も外聞もなく、テレビというテレビに出まくって、「規制緩和を止めたら、もっと不況が起こる」と狼少年ばりのデマを振りまいているが、いまどき、平気で“弱肉強食”を肯定するのは、この男ぐらいだろう。しかし、小泉氏といい竹中氏といい、いままで息をひそめていた悪党2人が、急に発言し出した背景には、表に出せない、出ては困る何かがあるのではないか。例えば、“アルカイダのお友達”大臣が、郵政とオリックスの癒着を明るみに出した途端、元総理が吠えたし、簡保の経理や原資の行方にまで、まだ第3者のメスが入っていない。私は、後期高齢者医療制度の改悪と外資保険の異常なTVCMには、密接な関係があると思っている1人だが、それよりも、来日したクリントン米国務長官に対し、あっさりと沖縄海兵隊のグアム移転費用をプレゼントすることを決めた麻生内閣のほうが驚きだ。これで、基地の跡地が日本のものになるならともかく、また、別の米軍施設のために税金が使われるんだ。偽善メディアは、「アジアで最初の訪問が日本だ」と、大喜びだが、本当は“集金”が目的なんだよ。
 恥知らずな奴らが背後で跋扈する、こんなクソ内閣が、9月まで続くと思うと、うんざりする。自民党最後のウルトラCは、“舛添内閣”だろうが、果たして?いずれにしても、麻生内閣は、とっくに難破しているのに、“不良債権”議員たちに守られて、なかなか沈まない。例の“酔っぱらい”は、やっと辞める気になったらしいが、自民公明政権は本当に恥知らずだ。そもそも、麻生内閣になった原因は、公明党が「選挙前に、金を配れ」と言い出したから。つまり、“麻生迷走”(あそうまいそう)の原因のすべての責任が、この党にあると、私は思っている。「金を配れ」と言った以上、その時期があるわけであり、麻生内閣には、どうしても昨年の秋には解散できない事情があったのである。そして、迎える春国会。すべてが、こういう日程の中で起きているのだ。それにしても、ワインブームとか高級シャンパンをどんどん消費する日本人なのに、酒の飲み方を勉強しないな、相変わらず。イタリアの新聞か雑誌が「エスプレッソと一緒に飲め」って、書いているらしいけど、その通りだ。前も書いたが、冬の寒い日にブランデーとエスプレッソを併せ呑むのは、ヨーロッパの常識だし、仕事中や仕事の前に飲んだ時も同じだろう。煙草嫌いが増えている日本でも、酒飲みは減らないが、主流の日本酒、ビール、水割り等々、みんなソフトドリンクだから、勘違いするんだね。
 あの“酔っぱらい”は、ホテルの自室でジントニックを「2杯飲んだ」と言ったが、本当は、冷蔵庫のミニボトルを2本空けたはずだ。朝、昼、夜といろいろ強い酒を飲んできて、夜、こんな飲み方をしたら、悪酔いして熟睡できないと思う。しかも、朝、現地に着いたばかりで、極度の睡眠不足。そのまま、朝を迎えて、エスプレッソをがぶ飲みしないまま、休憩や食事のたびにワインや強い酒を口にすれば、記者会見の時間にはデキ上がるに決まっているよ。こんなわけで、外国で仕事するような人は、普段から安いドトールのエスプレッソを飲む訓練をすべきだと、余計なお世話をしておきたい。もちろん、砂糖の摂り過ぎは毒だから、ストレートが基本です。

ポリシーなき首相の言葉遊び [社会批評・評論]

 何とかの“品格”や“常識”の何とか、とかいう本が出ると、そこそこ売れるらしいが、いまの日本人の多くは、なんでもかんでも、本質の追究よりテクニックで何とかなると思っているような気がしてならない。例えば、品格なんて、人格の中核部分を占めるはずで、それらのすべてを“知識”として知ったからといって、その人間の内なるものが急速に形成されるはずがない。しかし、こういう本を読んでみたいという欲求は、他人様が“品格”を知っているのに、自分が知らないのは、人間としての後れをとるという焦りからくるのではないだろうか。だが、私に言わせれば、“品格”とか“常識”というのは、あくまでも、その人の内面の問題であって、何かを知っているという、知識の問題ではない。いろんな知識は豊富でも、品格のない人はいるはずで、差し詰め、イタチの最後っぺを放ってから辞めた前総理など、その代表格だろう。「あなたと私は違うんです」。品格のある人は、こういうことは言わない。“常識”も同じで、常識的な知識というのはあるが、「あの人は、常識的な人だ」という表現があるように、“品格”と同じような、人間の内面を捉えた言葉だ。だが、いまの日本では、“品格”も“常識”も同じように、単なる、生きるためのテクニックの1つであると、一般的に捉えられているような気がする。
 政治家にとっての大事なポリシーの1つは、“品格”だと思うが、最近、総理大臣の“品格”が問われる舌禍事件が起きた。それは、日本国民の世論を2分した、国家の方針転換を巡るもので、単純に言えば、郵政民営化に関してである。昨年9月の自民党総裁選では、自分が民営化を実現した、と言ったのに、最近は「あの時、自分は外されていた」「最初は反対だったが、その後は賛成になった」「郵政民営化には賛成したが、4社分割には反対だった」等々と、まるで万華鏡のように、発言をクルクル変えている。しかも、予算委員会では、郵政民営化を実現した元総理を、当時のメディアが揶揄した「奇人変人」という表現を、自らの自己弁護のために使った。この総理大臣にとっては、政治家のポリシーも、単なるテクニックの1つなのだろう。かつて、数々の舌禍事件で評判を落とした元総理は、現在のキングメーカーだが、この人だけが、なぜか、現総理をかばっている。しかし、郵政民営化では、この政策1つで、自民公明政権が圧勝し、“チルドレン”という1大勢力が生まれたのに、自分たちの総帥を「奇人変人」呼ばわりされて、自民党内で何の抵抗も起きないのは、なぜか。いまの自民党には、政治集団としてのDNAが、著しく欠落しているという証拠かもしれない。このまま、“迷走(マイソウ)総理”を支えて、9月の任期までヨロヨロと走るつもりなのだろうか。
 いずれにしても、日本の政治状況は、長年の自民党1党支配がカルト宗教政党の助けを借りて、生み出した楼閣のようなものだろう。そのカルト宗教政党は、目下、手足を動かせずに地下で蠢動している様子だが、選挙の声とともに一斉に蜂起するはずだ。“チルドレン”が動けないのも、すべてカルト宗教政党に選挙の運命を握られているからだろう。元総理の番頭サンや自称“マダム寿司”といった“大物”までが、自分一人では選挙ができないという素人らしいから、当然といえば当然なのかもしれない。いま、国民世論の多数派になりつつある民主党に期待されるのは、9月までに支持率を9割に、限りなく近づけることではないだろうか。いまの、心ある国民は、まるで飢えた若者の如く、「やらせろ、やらせろ」と、心の奥底で大多数の世論に迫っているのだから。とはいえ、ここまで書いたところに、「奇人変人」と言われた方の“謀叛”というニュースが入ってきた。「郵政民営化堅持」「定額給付金の参議院否決」を明確にした、というので、偽善メディアは、早くも“劇場の再来”と持ち上げている。だが、私に言わせれば、これは世論への挑戦なのである。自民党への支持回復を狙う高等戦略。民主党の小沢代表が示した“読み”が、思わぬ形で当たっているけれど、こんなものに騙されていると、圧倒的多数の国民は、もう貧乏から脱皮できないぞ。

胡散臭い、自民の公務員改革 [社会批評・評論]

 人事院総裁を巡る大臣の批判や自民党内の批判を見ていると、とても戦略を持って行動を起こそうとしているようには見えない。まず、人事院総裁と行革大臣の“喧嘩”だが、人事院総裁のほうが、圧倒的にスジが通っている。なぜなら、制度上、人事院というのは、完全に、政府や国会などから独立しているからだ。人事院は、終戦直後から、国家公務員のストライキを防ぐ目的で、公務員と政府、行政の中間に位置する中間機関として、毎年、賃上げの数字を提示して機能している。したがって、総裁の罷免権など政府にはなく、強制的に辞めさせるには弾劾裁判が必要なのだ。無論、そういう制度を変えるために、法改正はできるが、そんなことを与党だけで、簡単にできるわけがない。自民党がガタ付いているのは、民主党が、政府の悪の権化として、特殊法人、公益法人などへ官僚が天下り、高給、高額退職金を受給し、3年ぐらいで渡り鳥のように、別の団体へ渡り歩いた上に、法人自体はいろんなリベートの橋渡しをするというシステムを批判しているためである。無駄なカネは削って、社会福祉のために使え、というのがニュー民主党の方針であるから、対抗上、自民党は“公務員改革”らしきものをやって、格好をつけようという訳だ。だが、そんな見え透いた嘘の“改革”に、人事院総裁が敢然と立ち向かっているのだと思う。
 つまり、自民党や公明党は、悪の温床である天下り問題にメスを入れないで、格好だけ改革をやりました、と言いたいために、人事院の中立性を奪い、組織だけをバラして、お茶を濁そうとしているのである。もちろん、天下りそのものは、改革が必要だ。大胆に、すべての天下りを禁止するということも、解決の1つだろう。しかし、そのためには下級公務員の給料を、民間並みにするために、スト権を与えることが必要だ。国家公務員の給料は、就職当初は圧倒的に民間より安く、民間に近づくためには出世して局長ぐらいにならないといけないが、一般の公務員には無理な話で、定年でやっと民間に再就職した時に世間並みの給料が手に入るというのが、従来の境遇だった。しかし、国家公務員には低家賃の住宅があり、いまの相場なら実質数万円の給料格差をカバーしているはずなのである。無論、地方格差もあるが、公務員全般の給料の民間格差をなくすには、こういう公務員住宅の家賃、保養所などの厚生施設を適正料金にすることが、前提になる。
 日本の官僚制度は特殊だから、止めるべきだという暴論があるが、奈良、平安時代から続くこの制度には利点もあった。それは、職業意識としての、徹底した中立性である。公務員としての倫理観に裏付けされて、受け継がれてきた中立性だが、学歴社会が進んで、子供のころに金をかけて受験技術を磨けば、誰でもエリート大学へ入学できるという時代になって、官僚の倫理観が地に落ちてきた。最近の汚職事件には、本人はもとより、家族、特に妻の浪費癖が指摘されるケースが多い。昔は、将来のトップと言われるような官僚候補には、ベテランの世話役職員の女性が、各省で連絡を取り合って、財産持ちの“令嬢”リストから候補を推薦していたらしいが、いまは金持ち自体が変化して、当事者も“令嬢”よりキャリアを選択する時代であるから、
官僚の家庭でも人材不足で、高級官僚と一般人との差がなくなっているのかもしれない。しかし、私は、官僚制度をただちに廃止しろというのは暴論で、ノンキャリアからトップキャリアへの道を開きつつ、倫理観や哲学を中心にした“キャリア大学院”のような研修制度を、課長級以上に作るべきだと思う。つまり、それほど、日本国民のレベルが下がっているのだ。いま、麻生内閣がやろうとしている公務員改革なんてものは、いかにして政治家が官僚にツバをつけようか、という邪さがミエミエだから、たった1人で立ち向かっている人事院総裁に対して「あんたはエライ!」とエールを贈りたいのだ。

宗教による宗教のための“給付金” [社会批評・評論]

 相も変わらず、揉めている定額給付金。持ち込んだのは、もちろん、福田内閣時代の公明党だ。総理に「選挙前に、金を配れ。以前の地域振興券みたいじゃなく、国民全部に金を配れ」と迫ったのである。こいつらと私は価値観が違う、とこわばる首相。選挙協力には絶対の自信を持つ公明党は、一歩も引かない。で、このやり取りを冷静に見ていたのが、麻生幹事長だ。生真面目な福田の怒りを見て、麻生は「福田は辞める」とほくそ笑んだと思う。俺なら、泥を被っても、定額給付金を配る。配下の議員を使って、公明の支持を取り付けた麻生は、総裁選以前に、すでに党内を支配していたのである。いまの自民党は、公明及び創価学会の支持がなければ、小選挙区を戦えない。自民党の選挙事務所は、町内会などのボスがたむろするコーナーと、票読みするコーナーに分かれているが、電話をかける男女のほとんどは公明党員、つまり学会員だ。だが、これは表の部隊で、街中を動き回って集めた票は、地域のセンターを通して創価会館や池田講堂などという宗教施設に集まる。昔だったら、企業から派遣された運動員が、プロの自民党員の指導の下にやっていた活動を、中選挙区時代に経験のある公明党員がやっているのだ。いくら連立与党とはいえ、こういう完全下請けという形の選挙協力は、自公が初めてだろう。
 したがって、公明の定額給付金要求は、以前の地域振興券と同様に、選挙協力のための労役弁済という意味を持つのだ。だからこそ、公明は何があろうとも、麻生に定額給付金を配給させなければならないのである。しかも、時期は、選挙の直前に限定される。したがって、選挙での“圧勝”を夢見た麻生によって、選挙を引き延ばされた公明の焦りも、ひとしおだろう。私の勘では、「選挙の時期は、私が決める」という麻生の見栄こそ、公明党に向けられたメッセージのはずだ。しかし、理由はどうあれ、公明党がカルト宗教団体を母体とする政党である以上、国民を巻き込んだカネづくめの選挙は許されるべきではないと思う。地域振興券の時にも、メディアはその追及を放棄したが、学会系企業や商店を通じて、振興券のマネーロンダリングが行われたと言われている。カルト宗教である創価学会は、政党としての公明党に対して、事あるごとにカネを求めているとの指摘がある。大臣に就任すれば幾ら、議員になれば幾らと、寄付を求めるのが習わしとか。利権の巣窟と言われた国土交通省に君臨した学会大臣は、国会答弁もほとんどできなかったのに、利権絡みの施策は声高に主張していた。しかも、利口に立ち回るすべを知らないのか、ストレートな言動をするから、成田空港より羽田の方が24時間化には適しているという議論でも、利権の匂いぷんぷんという成田に固執してみせたのだ。
 麻生内閣が誕生したのは、昨年9月である。あれから、総選挙の気配もなく、生活困窮者への援助、景気回復のためという定額給付金も支給されない。いまになって、自民公明政権は民主党の“引き延ばし”を批判するが、引き延ばしたのは、自民公明政権なのだ。つまり、目的は、事実上、公金を使った選挙買収以外にないのであるから、圧倒的多数の国民が「そりゃ、どうしても配るっていうならもらうけど、本心は反対だ」と言っているのである。したがって、私は民主党や野党には、延ばせるだけ引き延ばしてほしいと考える。どうせ、偽善メディアは足を引っ張るだろうが、国会が関連法案を早めに通したところで、地方自治体では選挙のように短期間でやれる仕事ではないから、絶対に時間がかかるのだ。役所が準備を終えて住民に通知を出しても、すぐに役所へ行けるのは高齢者ぐらいだろう。日本の近代史が始まって以来の、初めての“役所が配るカネ”であるのに、国家が保証する“国民証明書”を持たない日本人が、100パーセント完全に、自分のカネを受け取れる保証はあるのか。恐らく、悪質なサラ金業者たちは、この“余祿”を狙って、回収を狙うだろうと思う。詐欺師たちも同様だ。いまごろ、各地の詐欺師たちは、この最大のコーンゲームを企画していることだろう。言い出しっぺの公明議員たちは、テレビ番組でも、まるで他人事のように、この定額給付金の正当性を堂々と主張することをしない。これだけ、無駄な時間とカネを浪費している定額給付金。責任が誰にあるのかは、明白なことだ。

派遣村を“流行語大賞”に! [社会批評・評論]

 ことし前半の“流行語大賞”は、「派遣村」でキマリだと思うのだが、企業に気をつかうメディアの選考委員が許さないだろうな。たまに、ホントのことを言う兄弟愛の総務大臣が、超王手サラ金の、政府諮問機関親玉に対して、郵政業務を監理する立場にあった人間が、簡保の温泉施設を一括で入札したのはおかしい、と吠えたが、超格安で手に入れた“疑惑物件”なのに、朝日を筆頭とするメディアが「文句を言うな」と合唱を開始したのである。なかでも、朝日は社説で力を入れる思い入れようだ。そんなわけで、“落ち目”の企業に広告を断られたらマズイ、と思っているかもしれない。いまや、日本のジャーナリストは、金がすべて、なのだろうね。ご主人様に「吠えろ」と命じられたら、正義の人間に対しても吠えまくる。そういう時代になっているんだ。だから、これも朝日の人脈だが、テレビに出てきて、「派遣村は素性が、よくわからない」「バックに宗教団体でもあれば、理解できる」なんて、一種の暴言を吐いた元記者の法大教授がいた。恐らく、派遣村の首謀者を過激派だと踏んだのだろうが、迫力のある大衆運動というものは、過激な部分があるということを、お坊っちゃまで、秀才と言われた現代の記者には理解できないのだろう。人間というものを、派閥や素性でしか判断できない。大衆運動に対しても、これは共産党、これは社民党というレッテルしか貼ることができないんだ。挙げ句の果て、「宗教団体」だって?!
 確かに、渋谷の“麻生邸”にデモをかけよう、とか、公園は国民みんなのものだから、堂々と住もうじゃないか、という発想は、いくらブルーテントがあるからとはいえ、なかなかできるものではないと思う。私の記憶では、大昔に自治労北九州の労組が、道路上にテント村を建てたことがあったっけ。まだ、三池争議の余韻が残っていた時代だけど。最近の蟹工船ブームといい、世の中が急に飢餓状態になっているのかもしれない。ただ、違うのは、当時はメディアの記者には正義感があったこと、労働者は貧しかったが希望に満ちあふれていたことだ。しかし、窮すれば通ずで、大衆には知恵という武器がある。その知恵が、知らない人はいない東京のど真ん中、日比谷公園にテント村を作ったのだ。そして、共産党や国会の野党も応援した。共産党系の全労連や弁護士も支援したが、他の野党も引き入れて“全国区”の運動になった。昔の共産党だったら、こうはならなかったと思うが、志位委員長になって、大衆運動がわかってきたのかな、と思わせるね。私なんか、こういうの大好きだから、ニュースを見ただけで、心が躍ってしまうんだ。朝日の記者がリークしたらしい記事が、週刊誌に出たらしいが、首謀者に対する戸籍調べがウリ。公安警察が、さぞお喜びでしょうね。内容は、彼が過激派だという根拠なき噂。いずれにしても、「派遣村」は国会の野党共闘と大衆運動が、見事に結びついた好例だと思う。ところで、共産党の古い党員って、朝日が大好きみたいだね。朝日とNHKが、彼らの拠り所なのかも。志位さんが、蟹工船世代に期待する理由が、よくわかる。ま、どっちにしても、今年のトップニュースが、派遣村だったことは、悪い兆候ではないと思いたい。

戦争史から学ばない不幸な人々の群れ [社会批評・評論]

 最近の日本人が、なぜ劣化しているのか、その原因を考えると、あの大東亜戦争に対する無知蒙昧があると思う。とにかく、中学、高校の社会科、歴史の教科書では項目として出ている「我が国の戦争」に対して、私のような高齢も含めて、ほとんどの日本人が教育を受けていないのであるから、不可抗力という自己弁護も成り立つが、書店や図書館に行けば、いくらでも解決できる疑問に対し、みんながみんな放置してきた結果、日本人の「戦争」に対する無知が充満して、日本人の体質や民族性にまで影響を与えているような気がするのである。断っておくが、私は社会科の教師が「あの戦争は間違っていた」などと、余計なことを言うことを期待していない。教科書にも、そんなことは書かれていないだろう。だから、書かれている事実だけを、教えるべきではないか、と言っているのだ。つまり、どういう順序で、ロシア戦の勝利から、満州建国、支那事変、南方進出、いわゆる太平洋の戦争へと至ったか、という事実関係だけは、きちんと教えるのが、日本国民たる教師の義務であろうと、心から思う次第である。高校の教科書によっては、八紘一宇という当時のスローガンも出てこよう。この言葉の意味も、やはり、教えるべきだ。そして、何よりも大東亜戦争という言葉こそ、当時の戦争に対する正しい呼び方であり、戦争に対する国家の考えがきちんと入っているのである。少なくとも、教科書に出ているこの程度の知識がなければ、国際人として外国人に、正しい自国の歴史を語れないはずだ。
 ところが、現実はどうか。いままでの教師は、教科書通りの現代史を全部教えないくせに、あの戦争全体を“太平洋戦争”などという間違ったネーミングで吹聴してきた。こんな状態だから、「あの戦争はアメリカによって誘導された戦争だ」などと、たわけた寝言を言う自衛官が出てくるのである。もっとも、別にやる気のない教師に教えられなくても、戦争の歴史を学ぶ方法は、いくらでもある。まず、基本は、歴史の本を読むこと。しかし、実は、日本の歴史教育の大問題が、ここにあるのだ。中学、高校の授業の目的は、教科書を理解させることにあるのに、日本史に限っては生徒が教科書を読むことを求めないで、この年号に起きた事件を覚えろ、と強制するだけだ「教科書をよく読め」と言わないクセに、毎年、「あの教科書は悪い」とか、記述がおかしいとか、文句だけは一人前に出てくる。これが、歴史教育の実態。しかし、高校卒業後も、日本人として生きていこうと思うなら、一度は、年表や参考書の助けを借りて、日本史の教科書を読み通すべきだろう。それが、国際人たる、自分のアイデンティティーだと思ったほうがいい。最近の図書館ではビデオも貸してくれるから、戦争の映像も見ることができる。真珠湾攻撃の映像など、住宅地ではなく関東で言えば横須賀の艦船が停泊しているところに爆撃を加えたことがわかり、まるでどこかの町工場が燃えた程度の火事騒ぎのような画面で、アメリカ人がいかに、いまだに騒ぎ立てるのか、その政治的な意図を理解することも容易だろう。
 もちろん、だからといって、あの自衛官が正しいとは思わない。彼の誤りは、日本の戦争がいきなり対アメリカの“太平洋戦争”から始まったかのような印象を与えていることだ。しかし、日本史の教科書や参考書をまともに読めば、本来は中国の領土である東北部の満州を.事実上占領していたロシア軍と戦ったのが、日露戦争であり、ロシア軍以上の犠牲を出しながら.やっと勝利し、そのまま満州建国へとなだれ込んで行ったのだ。だから、日本の過去の戦争を“評価”しようとするなら、兵隊も軍費も大量につぎ込んだ日露戦争と、その後の満州建国から検証すべきではあるまいか。なぜなら、満州建国でとどまるという選択肢もあったからである。いくら産業が近代化して、伸び盛りの国とはいえ、鎖国を解いて間もない日本にとって、日露戦争での国民的な犠牲は少なくなかったのに、明治以来の長時間労働改善や近代国家としての工業地盤や産業的な蓄えなしに、封建時代に逆戻りする恐怖政治を敷いて、国民固有の財産まで強奪して、東南アジア全体への戦争へと突き進んだのだ。こんな無理矢理の国家に、共鳴するまともな国家が皆無だったのは当然のこと。“同盟”のイタリアはさっさと白旗を挙げ、中国滞在のドイツ軍などは、関東軍を嫌って蒋介石に協力していたというから、まさに無茶苦茶の戦争である。
 その結果、アメリカには国家予算を毎年奪われ、ロシアには漁船だ捕、賠償金請求、北方領土の半永久的占領が続けられている。自民党は北方領土の返還をスローガンにしているが、党としてロシア政府に交渉する気はなさそうだ。日露戦争当時のロシア軍は、まさに“革命前夜”の多忙中だったから、大いに手薄のはずで、そんな時期の敗戦の恨みが、北方領土への半永久的占領となっている。アメリカも同じで、やはり手薄なハワイの軍港を急襲された上に、占領していたフィリピンから司令官のマッカーサーが追い出された恨みが、原爆2発の投下でも晴れずに、事実上の国家賠償として、いまだに軍費を負担させられているという次第なのだ。ロシアとアメリカ。この戦争大好きな2大国家に、上納金を吸い上げられっぱなしの日本。そして、そんな歴史や国家予算の行方には無関心の、団塊世代がリードする日本という特殊な国家。この国は、どこへ行くのだろうか?

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。