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“シャブ中”ニッポンの戦後史(一端) [社会批評・評論]

 アベお友達内閣に任命されたアジア親善大使だったという、女性タレントのシャブ漬けぶりがメディアを賑わせている。確かに、日本では、シャブを初めとする社会的な警戒心が甘すぎる気がする。一番目立つのは大麻であるが、ヨーロッパでは国際列車や盛り場での、青少年を対象とした“臨検”は当たり前のように年中行なわれている。同じヨーロッパでも、アムステルダムは大麻解放区と言われ、夏休みにはフランスやドイツの若者が集まるから、帰りの列車内では手錠をかけられて、震えながら連行される学生たちが続出する結果となる。学生の多いパリでも、夏の夜のカフェに若い売人がやって来て、「シガー、要らんかえ?」と、声をかけて回る。アムステルダムの場合は、夜の広場に車座になって交歓する若者の群れに入れば、運良く(?)タダで大麻にありつける場合もあると思われるので、これが怖いんだ。怖いって言えば、パリなんか、男しか行かないカフェってのがあって、金持ちそうな紳士に、高そうな葉巻を勧められて、つい吸ったら、数時間後には、だだっ広いブローニュの森で、半ケツ裸身で横たわっていた若者もいるらしい。私の知る限り、サンジェルマンの、日本にも(偽物が)あるドゥーマゴの隣2軒は、要注意とか。
 こんどの事件で、若い女性のタトゥーもクローズアップされたが、改めて見回すと多いなーと思う。日本で生活するフィリピンの女性しか見たことがないが、フィリピン女性のタトゥーのほうが地味な感じがする。というより、彼女たちは洋服で隠れる部分に、タトゥーをするようだ。どっちにしても、私には、タトゥーとリストカットが、ダブって見えてくる。人間ってもんは、捨てられる過去を持つ生き物だと思うが、わざわざ絶対に捨てられない過去を刻み込むことはないだろう。しかし、まぁー、タトゥーはともかく、シャブなんか、終戦直後の日本では生活資金を稼ぐために、昼も夜も働く目的で、シャブやヒロポンに頼っていた時期が、あったんだ。朝鮮戦争の真っ盛りで、大手の電気、造船工場なんかでは、米軍特需の増産体制だったから、夜の7時から、8時からという仕事が溢れていて、戦争で鍛えられたサラリーマンや学生が、関東では、夕方になると、みんな横須賀線に乗り込み、昔の映画でも確認できるが、まさに、夜のラッシュアワーと化した状態だった。ま、こういう感じで、昔は夜の労働のために“使った”特効薬が、いまはただ、消費的な享楽のために使われているわけで、私に言わせれば、どっちに必然性があるかって言えば、享楽のために、そんなリスクは必要ないだろうってことに尽きるし、格好が悪すぎる。
 あたかも、クスリに手を出すのが、芸能人の特権であるかのような雰囲気さえあるが、自分の才能で得たステータスを、わざわざ捨てるのが、人間の不条理というものか。こんどの事件で感じたのは、複雑な家庭で育った美少女が、芸能人としてトップに上り詰めたものの、さらに、家庭人としても幸福を得たいと渇望し、資産家への嫁入りを選択したつもりだったのが、実は、遊び人の男に引っ掛かり、不誠実な相手ではないが、反社会的な遊びから足を洗えないまま、ズルズルと深みにはまった結果だということだ。その意味では、トップクラスのタレントから、高額の管理料、手数料をピンハネしながら、“できちゃった結婚”の相手や、その家庭環境、友人関係などのいっさいを、“親代わり”としても、いっさいの調査をしなかった悪徳プロダクションの社会的責任、法律的な管理業務違反は多大と言わざるを得ないのである。

“バラマキ”上等じゃねーの!! [社会批評・評論]

 自民公明が、民主党の公約を“バラマキ”だと、大騒ぎしている。民主党には、従来、疎遠だった役所の局長、次官クラスという官僚たちが、早くも日参して、御用聞きに勤しんでいるというから、与党の焦りもホンモノなんだろうね。笑っちゃうのは、いままで“お友達”だった連合や経済同友会なんて団体から、「おたくのマニュフェストは、不合格」って、言われてしまったこと。ま、考えてみれば、国民が認知していない“麻生自民党”は、初めから“小泉自民党”を継承していないし、いまや、組織政党ではなくなっているから、誰も過去のマニュフェストを検証されるなんて、思いもしなかったんだろうな。どっちにしても、先の補正予算といい、こんどのマニュフェストといい、当面の施策と長期の政策の区別ができない自民党は、官僚がいないと何もできないことが露呈している。やっぱり、こんどの選挙は、基本的に“政”対“官”なんだ。つまり、本当の“明治維新”が、この平成9年に、実現しつつあるという実感がある。もっとも、多くの国民がそう考えているわけではないと思う。私が、世の中で一番、政治意識の低い人たちと思う高学歴、専業主婦なんかは、民主党のマニュフェストで控除がなくなる子供なし共働き主婦と同調したつもりで、「不公平な課税には反対。国民に負担させるのなら、消費税で平等に」なんてホザき始めている。何が“不公平”なんだ。最近、お互いに精神的に独立するために、同居婚を望み、別々に税金を払っている男女は増えているというのに。
 結局は、これから、どういう国家を選択するのかっていう“勇気”が、いま有権者に迫られているんだと思う。自民党や創価学会の方々が「バラマキは良くない」と言うのなら、逆に「“バラマキ”上等じゃねーの!!」と言い返す勇気なんだ。意味不明の“政治献金”を釈明しない党首や、適当な党員名簿を作るために、名簿業者のデータを転用する悪弊が生んだ“元野党”が与党に躍り出ようとしているのが、いま進行中の“国替え”だとすれば、自民党や民主党を、どっちが正しい政党か、なんて”アンケート”なるものをデッチ上げているメディアは、滑稽極まると言わざるを得ない。アンケートの結果、民主党のマニュアルは財源が不明確と考える有権者が多数で、自民党の方は財源が明確と思う人が多いことがわかりました、なんて記事を見ると、いかにも、誘導尋問でデッチ上げたアンケートかがわかる。同じアンケートで、次の内閣は民主党と考える有権者が圧倒的多数なんだから、これじゃ、メディアのアンケートが、自民公明政権の延命を目的として実施されていると解釈されても仕方ないね。こんなメディアも、できることなら、自民公明政権と一緒に冥土に送るべきではないだろうか。もっとも、いくら相手がメディアでも、誘導尋問に引っかかって、「民主党のマニュフェストで“バラマキ”の財源は理解できますか?」と質問され、「わかりません」なんて、正直に答える方にも問題があるんだ。本当は、「じゃー、あんたは自民党のマニュフェストは財源が明確だと言いたいわけ?」と、逆に質問すべきだと私は思う。本当は、こんどの選挙って、国民VS政党&メディアの戦いだと思うんだ。
 こういう状況になると、与党議員たちのホンネが出てくるから、それ自体面白い。例えば、杉並で当確と言われる石原都連幹事長なんか、「将来は、参議院を廃止すべきだ」なんて言っているが、アメリカでもフランス、イギリスなど、先進国は普通、2院制だろうが。石原都連幹事長は、日本を中国並みの“独裁”にしたいのか、と思わず疑ってしまったぜ。ま、この一族の日常の会話の水準は、こんなもんだろう。御都合主義の自民党も“金策”の一つに、一院制を上げているが、こいつらには日本が進歩的な民主主義国家という自覚がないんだ。金がないなら、議員歳費を減らし、歳費と同額の調査費も削り、豪華な議員宿舎を売っ払い、地方出身者には10万程度の住宅手当を付けてやれば十分だ。もっとも、自民党の主張には「アメリカが作った憲法は、全部悪い」という“宗教”がある。仮に下野した暁には、戦前の政治体制への復古主義的な主張が出てくる可能性もあるかもしれない。それは、自衛隊の“海外派兵”への固執ぶりにも現れている。ま、格好良いんだよね。こういう主張は。素人受けするし。そんなことより、軍縮、平和主義の外交に徹するほうが、はるかにプロフェッショナルな国際政治だと思えるんだが。で、話は急に変わるが、日本人が好きなマグロが、鬼畜米英の蠢動で“ご禁制”になるらしい。絶対量が減った原因は、マグロが好きなクジラを放置しているからだけど、背後には日本のクジラ調査船に実弾攻撃を目論む、オーストラリアの毛唐や鬼畜米英のアングロサクソンがいる。憲法論議にうつつを抜かすより、日本民族の食料を守るほうが先決ではないのか。

業者主催の“営利”登山を禁止せよ!! [社会批評・評論]

 つい最近、ツアー会社が主催した北海道の登山で、多数の犠牲者を出したことが、世間の批判を浴びた。ハッキリ言って、“安かろう、悪かろう”の“トンデモツアー”である。このツアーに限らず、安売りツアー会社のパンフには、2万円で山小屋1泊の富士登山等々、いろんな山歩きツアーが目白押しだ。こういう山歩きツアーの特徴は、一見、熟練者向きの山でも、「大勢で登るから、安心だ」と、非熟練者に思わせることである。こんどの北海道の登山など、7月初めの北海道なのに、参加者の装備品なんかに、まるで無関心で、冬物セーターなど持たず、Tシャツに街着の薄手ブルゾン程度の参加者を、そのまんまノーチェックで参加させたところに、まず大きな問題があった。要するに、地元の関係者が皆無で、主催者や日雇いのガイドも地元とは関係ない、地元の山関係者から見れば、シロウトだったことが特徴である。こんな危険な“ボッタクリ”登山を、長い間、野放しにしてきたのは、先進国では、日本ぐらいのものだろう。今回の北海道の登山ツアーに限らず、本州では人気が高い富士登山ツアーなども、募集要項では“熟練者”をうたいながら、応募すれば誰でも受け入れてしまうし、ツアーの実施前に、「最低、こういう準備をしてほしい。できないのなら、受け入れません」というカウンセリングをすることもない、と言われている。しかも、最近は、こういう山岳ツアーに、高齢者の参加が増えているから、余計に社会問題として取り上げる必要があるのだ。
 問題は、今回事故が起きたから危険だということではなく、私は、参加者をエンジョイさせようとするツアーとしても、日本の一部の観光業者が主催する山岳ツアーは反社会的な性格が強いと考えざるを得ないのである。こういう山岳ツアーが盛んなヨーロッパでは、実にいろんなサービスが付加されていて、例えば、運悪く、現地で体調を崩してしまった人や、ツアーに向けて登山の準備ができなかった人などに対しても、現地ガイドがマンツーマンで荷物運びをしてくれたり、筋肉マッサージやプロフェッショナルな体調管理を急遽施してくれるという。無論、付加料金は必要だが、カードも使えるから、ツアーの前日まで、目一杯仕事をしていたような人でも安心して、快適な休暇が過ごせるというわけだ。ところが、日本の観光業者は原則的に薄利多売、要するに、安かろう悪かろうが当たり前だから、登山ツアー参加者の凍死も、通常ツアーの集合時間“厳守”も、論理的には同じレベルで、「ウチラ業者に罪はない。何かあれば参加者の自己責任だ」という理屈がまかり通る現実がある。
 7月の本州は真夏でも、北海道の夜間、とりわけ2000メートル級の山岳部となると、いつ冬型の気候になるかわからないし、気温という点で考えれば、本州の山でも気圧の状況で、深夜、雨に当たったり、汗で濡れたままの下着を変えなければ、体温が急激に奪われるという状況になる。だからこそ、夏山でも1枚のセーターを忍ばせ、無論、雨具は必須、チョコレートなどの非常食まで準備するのだ。しかし、普段から登山に興味のない人が、山岳ツアーに参加する場合、極端な話、参加費用だけを請求されるだけだから、金さえ払えば、登山が楽しめるという期待を持つ。しかし、本来、山行という集団行動は、信頼できるリーダーの元で行うものであって、学生アルバイトのような案内人が自分のノルマを果たすために、高齢者や素人の参加者を連れ歩くという実態からは、大きくかけ離れているのである。料金的に見ても、交通費や山小屋の料金がツアーだからといって、特別安いわけではない。したがって、現行の山岳ツアーから、素人の参加者が得るものは、ほとんど皆無と言えるだろう。こんどの北海道の事件で、やっと、役所が重い腰を上げる感じがあるが、私に言わせれば、役人が口を出したところで、解決策が生まれる公算はなく、本来は民間の山岳サークルなどが、社会的な活動として、役所のバックアップによって、山歩きの指導をしていくべきだろう。日本には山岳会という立派な組織があるが、ここは一般人の山歩きには興味がない。親切な山小屋の経営者などは、どちらかというと、山岳会に近い人たちであるが、日本という国家が素人の登山に無関心だったから、危険な業者の“営利”登山を野放しにしてきたのである。

“地デジ”は便利なのか? [社会批評・評論]

 地デジ突入2年を前にして、TVが壊れてしまった。ソケットを差し直したが、音しか出ない。メーカーに電話すると、修理には2万円かかると言う。「まだ、10年も経っていない」とボヤくと、「壊れる場合は、1年の新品扱い期間を過ぎた直後に、壊れることだってある」とホザいた。多分、正直な性格の窓際なのだろうね。まさに、クソの世界である。しかし、いまの世の中、余分な金は使えない。TV受像機がダメなら、PCがあるではないか、と私は考えた。早速、ネットで量販店の売値を調べたら、大型のキャプチャは、まだ地デジ対応が高いが、ノートPC用なら安いことがわかった。で、行ってみると、ポイントカードを使い、アイオ・データのワンセグチューナー(GV-SC300)を3000円台で買うことができた。早速、マンションのTVアンテナを壊れたTVからキャプチャに繋ぎ替えると、地デジが完成した次第である。私のノートPCはニキュパのAsusであるから、3万と少しで誰でも地デジOKってわけ。しかも、付属のロッドアンテナを使えば、喫茶店の窓際でTVが見れる。画面が小さいのは仕方ないが、“ながらTV”には、十分だ。野球などは、キャッチャーや打者の動きで、どんなボールだったのかを判断する。ま、とにかく、インターネットで見るパリーグの中継より、一回り画面が小さいのであるから、目や耳が健常で良かったと思う。
 しかし、まー、「地デジが便利だ」とか「面白い」というのは、真っ赤な嘘で、ぐっと増えた有料チャンネルのために金を使いたい人以外には、高いテレビに買い換えた分だけ、確実に損をすることは、間違いない。変わったのは、同時刻の他局番組と内容がTV画面と別のテキスト画面に映し出されること。テレビ番組のために、高い新聞は購読するな、というテレビメディアからのありがたいメッセージなのか。チャンネルを換えたければ、局名をクリックする。ま、本体はパソコンだから、当然といえば当然なのかもしれない。こんなわけで、以前よりはテレビの垂れ流しが減るかと、最初は思ったが、意外と減らない。理由は、デジタルの分だけ画面がキレイになったから、以前は、テレビというと、音で判断していたのが、画面で局の選択をするようになったからだろう。こんな次第で、私は、TVがPCに凌駕された現実を、しばらくは味わいたいと思う。いまのところ、ノートPCでTVを見ているが、いずれはデスクトップの“大きな”画面で見ることになるだろう。目途は、地デジ関連商品がいまより数段は安くなった時だが、地デジ突入まで、あと2年、すでに莫大な宣伝費を使い、アナログ“愛用者”がまだ5割はいるというのに、関連商品の値段を下げず、国家的圧力でテレビの買い換えを目論む政府、自公政権と悪徳メーカーが健在でいる限り、地デジ問題が新たなる貧困を、国民生活の中で創出する可能性が大であるということだ。
 とはいえ、民主党だって、政権獲得後の地デジ対策をどうするのか、皆目、その先は見せていないのだ。完璧な組織政党ではないから、担当の国会議員の思想傾向で、国民寄りになったりメーカー寄りになったり、コウモリのように変化するのだろう。与党になれば、官僚だけでなく、関連企業や団体が自分たちの利権を確保しようと、スリ寄ってくる。民主党は政権獲得後、2~3年後には、すべての企業、団体からの献金を拒否するようだが、まー、直後の御祝儀だけは勘弁してくれってことなのか。国民にとって一番不愉快のは、完全なヒモ付き献金であり、そういうのは、自公政権と現状が変わらなければ、すぐにわかる。私は、この地デジ問題の解決に特別の関心を持っているが、これは個別で特殊なケースだけに、民主党にとっての、国民多数の立場に立つか否かのテストケースだと思っているのである。

“バカの饗宴”! [社会批評・評論]

 ミヤザキの人気知事が、まだ、騒いでいる。まさに、“バカの饗宴”だ。この男の“自民党願望”に関しては、かなり以前、このブログで書いた記憶があるが、最近になって、大阪の人気知事が国の公共事業等の負担金を「大坂ミナミのボッタクリバーでも、ここまでやらない」暴挙だとアピールしたこともあって、地方の行政に関心が集まってきた現状を背景に、民主党に追い詰められている自民党に秋波を送った結果、めでたく「お迎え致します」って言質を取ったという次第なのだ。だが、もともと、政治音痴だった男の計算通りには、事は運ばない。一部の自民党幹部が関心を抱く一方で、大半のベテラン幹部は「アホらし」「不愉快」と正常な反応を示している。しかし、こんなキワモノ野郎に頼るほど、自民党は追い詰められているのか。身から出た錆とはいえ、だんだん、この政党が哀れに思えてきちゃったぞ。私は、ミヤザキの知事が、最近の地方自治への国民的な関心に貢献しているとは、とても思えない。地方の財政支出の矛盾など、とっくに問題提起すべきことを黙認してきたくせに、威勢のいい“ボッタクリ”発言を聞いた途端、イキイキと政府批判に便乗したとしか思えない。
 考えてみると、この男、美人女優の元妻への恋慕が断ち切れずに、中央復帰への道を模索してきたように見える。タレントとして飛躍ができず、地方の政治家へ転身し、成功したものの、心の空洞が埋まらなかったってわけ。もっとも、たけし軍団というのは、昔から創作活動を奨励していて、ダンカンなどは映画の監督作品をいくつか持っており、ミヤザキの知事もかつて「ビートたけし殺人事件」という小説を書いたことがある。売れ行きを考えてか、著者に師匠の名前を使ったから、ファンの女性作家がメディアで絶賛してしまい、たけしが慌てたらしい。ま、だから、すべてにわたり“能無し”と批判するつもりはないが、政治家として何をしたのかという実績では、宮崎マンゴーを世に広めたという程度の印象しかないのである。もっともらしく、“地方分権”などと口にしているが、税金の分配を国と地方で5分5分にするという程度の知識なら、気の利いた高校生でも知ってるぜ。知事や市長を経験した者はおろか、ある程度、地方公務員をやった者なら、誰でも“地方分権”の専門家になれるのだから、彼が特別、地方自治の改革に鋭い問題提起をしているなんて、評価はとてもできないのだ。
 そんなことよりも、重ねて強調するが、ミヤザキの知事の最大の目的は、元妻の美人女優とヨリを戻すことでしかないように思う。彼は以前から、彼女以上の女性はいないと公言しているし、今回の騒動の最中でも、美人女優とのあれこれを話題にしている。つまり、彼の、目下の最大の関心事は、地方自治よりも、職場を東京へ移すことで、元妻とヨリを戻すチャンスを作ることにほかならないのだ。要するに、今回の騒動は芸人としてのシャレで済ませる範囲の問題に過ぎない。師匠たけしの付き人時代、100万か200万円くらいの金を預けられたが、文字通り、そのまま持ち逃げして、使い果たした3カ月ぐらい後に、のこのことコンサート会場に現れ、舞台の真下で「イエー」と声を上げていたらしいから、普通の神経ではないのだ。したがって、アホなメディアも、流石に、少しずつ醒めてきた気配がある。どうやら大阪の知事も袂を分かったようだから、選挙の色物としてミヤザキの知事を使おうという自民党の思惑が、余計にアホらしく映る。無論、こういうバカの饗宴には、付き合ってやろうというおバカもいるから、効果ゼロではないと思うが、もう、自民公明政権にはつける薬はないということだろう。
 親分の麻生首相のクレージーぶりも、治っていないらしく、地方選挙の応援に出かけて、「“惜敗”を期して、がんばろう」だものね。最近、あのダミ声のCMが消えたと思ったら、極端に地味な政党CMになっちゃった。マニュフェストの表紙から、自分の顔を消したらしいし、すっかり弱気になったのかなとも思う。若手議員による“麻生下ろし”の活動も伸びているというが、要は自分たちのクビが危ないから、「“選挙用の”総裁選をやってくれ」ということらしい。万が一、こんな要求が通るのなら、もはや自民党は近代的な組織政党とは言えない。一方、官房長官も、マイケル・ジャクソンの訃報に接して「彼の肌が白いのはおかしい」てな、古くさい差別発言をしたり、元自治相に至っては、「キャリアより、ノンキャリアの方が悪いことする」などと、要人たちは相変わらずのピント外れ発言を繰り返している。民主党が、一番怖いのは、麻生総理が舛添厚労相に“禅譲”することだろうが、そんなことはできないだろうな。

“友愛”は国民の花園なのか? [社会批評・評論]

 選挙に向けた民主党のシンボルフレーズが、「友愛」だって。私の記憶では、戦前の穏健的(権力妥協的な)労組に、友愛の文字があったような気がするのだが。ま、どっちにしても、戦前の日本国民は、完全な選挙権を持てなかったし、“8時間労働”というスローガンも弾圧された。日本で8時間労働が当たり前になったのは、すべからく、歴代の自民党が嫌いな“アメリカさん”のお蔭である。日本人の基本的な権利を明示した憲法も同じ。無論、日本の憲法学者も参加しているが、アメリカの占領中に作られた憲法は、第2次大戦の勝利国が承認して日の目を見たのである。そこで、“友愛”であるが、戦後、吉田茂と張り合った鳩山兄弟の祖父がスローガンに掲げていて、やっぱり、民主党は音羽御殿を担保にして作った政党なのかと、妙に納得してしまった。あの音羽御殿ってのは、東京に住む人なら一見の価値はある。正真正銘の金持ちの家たァ、こういうもんだという説得力に満ち溢れた外観だぜ。もし、鳩山総理が誕生したら、開放しろ、なんて声が起こりかねないね。
 “友愛”とは、自由、平等、博愛のようなものだという意味の発言を、鳩山代表は党首討論でしていたが、本当に民主党はフランス革命が掲げたような、深い哲学的な内容の市民権を、マニュフェストにする気があるんだろうか。鳩山一郎が保守主義に埋没したように、鳩山民主党も基本は保守主義だなんて、言わないだろうな。考えてみれば、小沢前代表は代表就任時、民主党とはどういう政党なのかと、哲学的な内容の演説をしているのだが、鳩山代表は用心深いのか、パクリ癖のある政府与党を警戒する余り、自分が描く民主党の姿というものを表現していない。こんな現実から勝手に想像すると、祖父の一郎氏が終戦直後、描いたような、国際的には平和外交を基軸としつつも、国内的には穏健な保守主義を背景として、大胆な労働者への権利拡大を嫌い、結果的に保守派官僚と手を結ぶようなことにならないか、大いに気になる。新自由主義者の小泉元首相が竹中平蔵と手を組んで、戦後の労働運動や革新派の運動が勝ち得た様々の成果を荒らしまくった後だけに、労働条件や労働者の基本的な権利等は、ある意味、終戦直後に逆戻りしていることを忘れてはいけないだろう。平均賃金を無視した給料、サービス残業……いろいろあるよ。
 考えてみれば、鳩山代表は、いまだに続く各地の派遣村の解決策や非正規雇用の労働者の権利拡大を、有権者に公約していない。労働者全体の平均賃金をどうしようとか、国家予算規模の問題ではなく、国民への最低保証に関して、次期総理に一番近い人物が何も、具体的に語ろうとしないのは、異常とさえ思える。麻生首相らの“予算的な背景”攻撃を恐れて何も言えないのだとしたら、「冗談じゃない」の一言しかない。貧困に喘ぐ国民を、我が身を呈して守るのでなければ、真の野党共闘とは言えない。そもそも、総選挙に当たっての野党共闘とは、国会対策の延長なんかではあり得ず、お互いの政党の公約を認め合うなんて程度のものでもなく、対立与党に対して、これだけは譲れないという対立軸を、打ち立てるべきものではないのか。しかし、これだけ選挙が近づいているのに、民主党以外の社民、国民新等の政党も民主党のマニュフェスト待ちという状況は、国民から見ると、いかにも不安だらけなのだ。

“バックホーム”しない右翼手 [社会批評・評論]

 今年の真弓タイガースは、3位争いができるのだろうか?私は、かなり、懐疑的になっている。矢野の代わりは、狩野が合格点でがんばっている。内野も今岡の不振をカバーして、一見、機能しているように見える。欲を言えば、ファーストの関本が、ランナー2塁の時に、緩いセカンドゴロを処理するためか、セカンド寄りに守り過ぎ、その結果、セカンドも投手も1塁に入れず、1、3塁を与えるという中学生並みのボーンヘッドが2、3回あったが、今年のタイガースは、守備の連携がなっていない。もっと酷いのが、ライトの桜井で、昨年に引き続いて、バックホームから逃げて、1点差を争うゲームなのに、外野フライでホームに帰るというケースで、平気でファーストの中継に頼り、1点を与えている。5月22日段階で、私がテレビで確認しただけでも、2度の1点差負けゲームの原因を作っている。無論、記録上は責任を問われないし、もしバックホームで刺した場合は、ファインプレーだ。しかし、41歳の金本と同じプレーを、どうして25、6の若者にさせないのだろうか?岡田前監督は、こういう守れない桜井を、昨年まであまり使わなかったが、点差は打撃で返せばいいというパリーグで管理者の道を歩んだ真弓監督には、いまのタイガースの戦力を緻密に計算する余裕がないのかもしれない。
 確かに、桜井、林(葛城、DH)、狩野と続く6、7、8番は、面白いし、大量得点を期待できるが、桜井が25本以上のホームランを期待できる打者とは、とても思えない。いまの桜井の遠投力なら、40歳の桧山の方がはるかに正確なバックホームができるような気もする。85年の猛打タイガースを支えていたのは、実は、燻銀のような守備力なのであって、現在の守備力では下位を低迷するに違いない。こんなことを考えて原稿を書き始めたら、いつの間にか、桜井がいなくなり、打順ではDH桧山、1B葛城、C狩野という6、7、8の打順に代わっていた。さらに、関本が古巣のセカンドに戻った途端、ポロポロとゴロをこぼしている。元ライオンズのホームランバッターを獲得したための準備課もしれないが、2Bは平野がレギュラーだったんじゃないのかね。ブレ始めちゃったらしい真弓監督。残る道は、シーズン途中の辞任か?野手に比べて安定していたはずの投手采配も、おかしくなっている。ファイターズ初戦では、鉄壁のエース、ダルビッシュに福原をもってきた。おい、おい、いつからエース格になったんだ、と思っていたら、案の定、得意の自滅。しかも、交代を遅らせて、「ファイターズさん、勝って下さい」という点差になってから、江草に代えている。
 以前から、エース格になれると言われてきた福原だが、140キロ台のスピードボールで抑え込んだと思ったら、次には、急に、逃げるようなピッチングに切り替わり、やっとのことで、2ストライクまで持ってきたと思ったら、次のストライクボールが投げられず、四球でピンチを広げ、挙げ句の果てに、若い打者にタイムリーを打たれ、傷口を広げるようなことをしてきた。問題なのは、いま交流試合のトップを走るフォークスとガチでいい試合をしたタイガースが、ファイターズとの初戦で、どうして福原という“壊し屋”に託したのか、ということなのだ。いずれにしても、打線の繋がりがどうとか、抑え陣がどうとか、選手レベルの枠なんかではなく、真弓監督が何を目指して采配しているのかというイメージの問題が、いま問われているのである。

異常メディアが作る“正しい”民主党の姿 [社会批評・評論]

 念願の“小沢下ろし”を実現したと思ったら、こんどは小沢前代表の影響が強い鳩山幹事長の代表就任を阻止しようと、異常メディアが大騒ぎを始めている。異常メディアが揃って展開する作戦は手が込んでいて、勝手に“アンケート”なるものをデッチ上げ、地方組織と一般党員、有権者は「圧倒的に岡田支持」というストーリーの書き出しを、まずデッチ上げた。続いて、こんどは自民党幹部が登場してきて、「鳩山は小沢と一体だから、やりやすいし、歓迎」「岡田はクリーンなイメージで、人気があるから怖い」と、口裏を合わせてきた。つまり、結論は“鳩山ダーク”“岡田クリーン”というわけで、メディアの主張と自民党幹部の反応が、完全に一致しているのが、まったく異常なのだ。しかし、本当に、自民党幹部は、この大事な時期に、敵に塩を贈るようなメッセージを発しているのだろうか?私の答えは、限りなく“ノー”なのである。あれも嘘、これも嘘、という大嘘のオンパレードが、いまの異常メディアの実態だと思う。当面の目的は、無論、メディアに弱い、民主党議員の投票を左右させることにある。自民公明政権が本当に怖れる小沢前代表の影響を消すために.「岡田でないと、選挙で勝てないぞ」と、民主党を揺さぶっているんだ。
 代表選挙に関しても、異常メディアの大嘘は続く。前回もその前も、中3日で代表選挙をしているのに、議員たちに考える時間を与えたくない小沢前代表の陰謀だとか、デッチ上げている。しかし、こんな嘘はすぐバレる。なぜなら、損得で言えば、選挙の期間が少なくて損をするのは、むしろ、影響を残したい小沢氏の方だからである。どういうことかというと、本当は時間がたっぷりあれば、話し合いや根回しを続けて、岡田なら岡田と、1人に絞り込んで、組織全体で固めてしまえば、力の強い実力者の影響はほぼ完璧なものになる。例えば、昔から派閥やグループを極度に嫌う共産党などは、書記局がクッションになって、幹部会、常任幹部会などの人選を完璧にするから、決定機関である中央委員会総会でも、問題は起こらない。それは、小沢氏のシンパを通してきた菅直人のグループが、今回、実質、岡田支持に回ったことを考えれば、岡田支持者を党内の“右翼グループ”で固めるのを阻止する目的であったことが理解できるだろう。もし、異常メディアが望むような、アメリカに対する思いやり予算などに寛容な前原、野田グループが主力になった執行部ができたら、間違いなく、野党共闘は頓挫する。そうなれば、延命する自民候補が続出し、選挙結果にも影響が出るだろう。
 ハッキリ言えば、前原、野田グループの狙いは、小沢前代表の実績である参議院での与野党逆転という成果を、横取りすることであり、異常メディアの当面の狙いもそこにある。しかし、小沢前代表の実績というのは、参議院での与野党逆転に止まらず、民主党の政策的な努力で、従来、ほとんどあらゆる選挙区で対立候補を立ててきた共産党が、小選挙区での空白区をあえて作り、民主党候補の当選チャンスを増やしたことにも現れている。もっとも、前原、野田グループにしてみれば、こういう“左”寄りの小沢路線を転換するチャンスを狙っていたわけで、メディア出身の小宮山議員などを露出させて、反小沢ムードを煽り続けてきたのだ。反小沢ムードを支えた“右派グループ”の特徴は、国会質問でも、自民公明政権の矛盾を追及するよりも、与党案の修正に力点を置いてきたことにある。まー、私のホンネを言えば、鳩山、岡田なんて、見飽きた顔よりも、童顔の原口衆議院議員を看板に据えるぐらいの度量を、小沢前代表には示して欲しかった。

ダメ政権の思いやり [社会批評・評論]

 ちょっと前、自民公明政権の“思いやり”の無さを感じさせた出来事があった。厳密に言えば、思いやりの無さというより、“人間性の薄さ”である。つまり、いまの自民公明政権とその閣僚たちに共通の薄情さが露呈した瞬間であった。SMAPの中で、もっとも高感度が高いと言われる草彅(くさなぎ)が起こした事件で“アルカイダのお友達”が発した、人間性否定の発言に、怒りを感じた人は多いはずだが、権力者が突きつけた刃(ヤイバ)は、実は多くの国民に向けられている刃なんだよね。いまや、警察、検察権力が、政治やタレントの活動まで、なんでもコントロールできる世の中になっているな。無論、こういう異常社会には、権力に忠実な御用メディアや権力が大好きな国民の存在が必要だ。大体、ワイチン事件なんて、普通なら、初犯で説教、始末書止まり、酒が残っていれば抜けるまでブタ箱に入ってろ、ってのが常識だろう。こういう「御免なさい」で済む事件を、警察権力の暴走に何の批判もせず、まるで警察の大手柄であるかのように、連日報道し続けた挙げ句、クソ真面目で、酒だけが日課という35歳の独身タレントの仕事を奪ってしまったメディアには、権力に拍手する一部の国民しか見えないのだろう。
 この傾向は、20世紀初頭のスペイン風邪に次ぐ世界的な事件と言われる新たなインフルエンザにも見られる。横浜の子供が一時隔離されたことがニュースになると、親たちが学校へ押しかけ、「その子の通学ルートを教えろ」と迫ったらしい。横浜のケースを含めて、日本ではいまのところ、水際作戦が功を奏して、事が広がるのを防いでいる。マニュアルづくりは、官僚や一般公務員が大好きだからね。本当は、日本の官僚には、権力の匂いなんか嗅がせずに、こういう地味な作業だけを評価してやれば、問題が起こらないんだが。一方、メディアが大好きで、自分の哲学や行動指針というものを持たない団塊以下の親たちは、メディアの報道だけでヒステリックな集団行動をとるらしい。自分の考えに基づいて行動するという、大人としての基準がないんだね。いま、偽善メディアが持ち上げている清志郎(忌野)だって、バリバリの頃、メディアは一切の報道を避けて、「反骨」の枠に閉じ込めてしまった。ロックの「君が代」なんて、評価しない方がおかしいと、思うんだが。サッカーの国際試合でも、北島三郎や和田アキコが歌えば、演歌の「君が代」だろうが。国歌ってのは、みんな好きなように歌えば、いいはずだ。そのことを訴えたのが、清志郎なんだよ。メディアは、最後まで無視し続けたがね。「愛」だって、清志郎の場合は、反戦、反核、貧困という裏のメッセージを潜ませているんだ。
 いまや、日本国民の多くが貧乏、安物というメディアの誘導に引っかかっている。ETCに躍らされた良い子の皆さんが、せっせとお金を運んだ先は、道路族の天下り官僚が作ったカードローンの会社なんだ。貧乏人が悪代官から搾取される構図は、江戸時代から変わっていないということ。それを、みんな悔しいとか、情けないとか思わない。もう少しで、こういう政治が改革されるのかと思ったら、メディアと検察権力が仕掛けた大博打に、良い子の皆さんが見事に乗って、「やっぱり、私たち、自民公明政権大好きなんです」だって。ちょっと前まで、日本国民もヨーロッパの国民意識に近づいたのかと感動しかけたが、どっこい、日本の良い子は、やっぱりアホだったと思われる。そんなこんなで、民主党の代表が変わるらしい。謀略を仕掛けたメディアの張本人の狙いは、アメリカに忠実な民主の右派から代表を出すことだったらしいが、失敗したようだ。しかし、まぁー、政治部と称する記者連中が一つの政党に張りついて、個々の議員に宗旨がえを迫るという構図は、まるで全国区の指定暴力団じゃねーの。もう、皆さん、そろそろ、新聞の定期購読を止めたらどうだろうか。

民主党は都議選で“大敗北”する!! [社会批評・評論]

 こんなタイトルが、私の脳裏をよぎった。駅前で演説する民主党の都議選候補を見ていて、そんな印象を持ったのである。30分近くの演説中、自民党、公明党の批判はゼロ。淡々と自分の福祉政策の実績に触れ、民主党中央の緊急経済対策と、企業、団体献金の全面禁止を訴えていた。しかし、この問題の表裏一体である自民公明政権のバラ撒き予算や、小沢民主党代表に対する検察の政治的な謀略には、一言も触れなかった。オー、マイ、ゴッド。万事休すだね、これじゃ。民主党の都連は、以前から“石原与党”で急先鋒が、女性参議院議員でもあった責任者と言われていたが、彼女を更迭し、菅直人副代表を都連の責任者にした後も、やっぱり与党批判は民主党東京のタブーなんだろうか、と思った次第なのだ。本当に、こいつら馬鹿なのか、と心底呆れて腹を立ててしまった。こんな都議候補が、デカイ顔をしている以上、総選挙でも菅直人以外は危ないね。選挙の基本は、まず、一番の応援団の中枢を固めることだろうが。いまや、民主党支持の常連だけじゃなく、“検察を動かしてまで、権力を守る麻生”という空気が自然発生しているよ。「あのカーキ色の検事は学会か?」なんて、ヨタ話も飲み屋では聞こえる。しかし、あの淡白な民主党都議候補たちは、何を考えているのだろうか。
 検察の選挙妨害どころか、ひ弱なボーヤたちは、新銀行東京の放漫経営にも触れなかった。大体、民主党イコール福祉の党だなんて、誰も思っていないぜ。同じ福祉を訴えるなら、ワンマン石原知事による偏った都政を叩きまくって、論理的に福祉行政に繋げるべきだろう。母子家庭を初め、財政に余裕のあるはずの東京都が、こと福祉に限っては、全国レベルでお茶を濁している事実を、なぜ強調しないのかと思わずにはいられない。おまけに、検察の選挙妨害を叩かずに、「企業、団体の政治献金は受け取りません」という新政策を強調するのは、“御免なさい、許してね”っていうのと同じなんだよ。こんな都議候補がいる限り、民主党が大敗する可能性は、限りなく大きいと言わざるを得ない。それに、重要なのは、政治的に勝たないといけない相手は、自民党ばかりかカルト宗教政党であるということだ。こういうポイントを挙げていくと、こんどの都議選では、叩きのうまい共産党が点数を稼いで、民主党が大敗するのが必至、という逆算が可能だ。しかし、本当は、都議会民主党が石原野党に徹して選挙を戦えば、事実上の野党連合か大勝する可能性も出てくるはずなのだ。
 それにしても、“追加経済対策”という麻生予算は酷いの一言。自民公明政権大好きというメディアと検察の応援を得て、民主党叩きの隙を縫っての景気浮揚策という触れ込みだが、2、3年分の赤字国債を充てて、出てきたのが3~5歳児、しかも今年度限定の“給付金”だって。言わずと知れた、カルト宗教政党の要求によるもの。こんな“限定商品”が子育て支援などと言えるわけがない。そう言えば、定額給付金が夫のDVで極秘転居している母子に行き渡らないのは不平等だと、該当する母親が国に訴えている。総務省の指導で自治体に出ている行政通達では、住民登録しないブルーテント住民やDV被害者には給付してはいけない、のだそうだが、誰の差し金か。民主党小沢代表の政治献金に絡む秘書逮捕では、「秘書は全部ゲロしたぞ」と流言蜚語を振りまいたメディアは、こういう問題には無関心を貫いている。まさに、国家権力の機関紙、自民公明政権の御用新聞、テレビ媒体というわけ。それでも、「悪い小沢は、早く辞めるべきだ」なんて人びとは多い。やっぱり、政治のことを考えるのが嫌いな良い子のみんなは、“自民公明”が大好きなのが、いまの日本国民なんだろう。私は、こういう保守反動型の空気を形成してきたのが、都議会民主党に代表される権力応援団としての本質だと思う。
 大体、民主党の国会議員も含めた民主党員が感じていた、検察とメディアの小沢包囲網が出来上がる前までの、民主党支持の広がりというのは、何だったのか?最近になって、小泉政権の時代にエールを贈られていた元代表のグループが「小沢辞めろ」コールを、メディアの応援を得て高めているようだが、偽メール事件でガタ落ちになった民主党への信用が、小沢代表によってどれだけ回復し、あるいは倍増したのか、彼らにはまるで無関心なのだ、ということが、ふざけた都議候補の演説を聞いていて理解できたような気がする。多くの国民が望んでいる“新政権”は、自民公明のコピーでは困るのだ。

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